【われにかへれ】杜野凛世とプロデューサーの夏的平衡 −G.R.A.D.を経て完成した杜野凛世という名の「悲しきアイドル機関」−

 要旨

 2020 年 8 月 11 日、アイドルマスターシャニーカラーズ(シャニマス)にて「期間限定 夏的平衡 凛世・咲耶スタンプガシャPlus」が実装された。シャニマスで登場するアイドルの中でもいわゆる「Pラブ勢」の一人として知られる杜野凛世であるが、P との関係を鮮やかに描いた G.R.A.D 編のコミュ公開後初の pSSR 実装となり多くの注目を集めた。この研究では今回実装された【われにかへれ】杜野凛世のガシャタイトル「夏的平衡」に注目し、熱力学・熱機関とのアナロジー・言葉遊びからG.R.A.D.を経た杜野凛世のアイドル像について考察をした。その結果、現時点での杜野凛世は少女でありアイドルでもあることを利用した、いわば「悲しきアイドル機関」であることを提案した。

 

注意:杜野凛世のG.R.A.D.および【われにかへれ】のコミュに関するネタバレが多分に含まれます。) 

 

はじめに

 杜野凛世はシャニマスに登場するプロデューサーへ恋心を抱く描写が公式で描かれる「Pラブ勢」のアイドルの一人である。これまでのコミュではプロデューサーに対する恋心だけでなく、アイドル・杜野凛世であることに対する苦悩を技巧的なストーリー・演出によって表現されてきている。特に、2020 年 5 月に実装された G.R.A.D. 編では一人の少女としての杜野凛世とファンの前に立つアイドルとしての杜野凛世とが本人の中でどのように共存してくべきか葛藤し解決を目指す過程と、その努力をする凛世が必死に伝えようとしていることにきちんと耳を傾けなければと心を改めるプロデューサーが描かれた。

 2020 年 8 月 11 日に実装された期間限定ガシャ「期間限定 夏的平衡 凛世・咲耶スタンプガシャPlus」は pSSR の実装が強く待望されていた黛冬優子・三峰結華が登場する 2 つの期間限定ガシャに続く三連続の期間限定ガシャであることと、妄想こそすれど公式で出るとは誰しもが想定していなかった思い出アピール演出によって多くの反響が寄せられた。杜野凛世個人に注目しても、pSR 以上の実装はこちらも思い出アピールの演出で多くの P を苦しめた pSSR【十二月短篇】(2019 年 12 月、限定)以来となるものであり、G.R.A.D. を経た杜野凛世とプロデューサーの関係がコミュで描かれることが予想され、杜野凛世とプロデューサーの関係を見届ける人々の間に確かな期待とともに大きな不安が生まれることになった。

 本書では、ガシャタイトルである「夏的平衡」に重点をおいて、主に G.R.A.D. から【われにかへれ】にかけての杜野凛世とプロデューサーの関係を考察する。最初に G.R.A.D. について簡単に振り返り、それを踏まえ「夏的平衡」に注目し熱力学・熱機関とのアナロジーや言葉遊びを押さえながら【われにかへれ】のコミュについて考察する。

 

G.R.A.D. の概説

  G.R.A.D. (Grand Repute AuDition) はユニットとしてではなくアイドル個人として競い合い頂点を決める公開オーディション番組である。アイドルたちがそれぞれの壁と向き合うことになる G.R.A.D. であるが、杜野凛世は G.R.A.D. 出場と同時にネットドラマの出演が決まり、杜野凛世が演じる少女たちと向き合うことを通じて周囲からの評価と杜野凛世がなりたい在り方をじっくり見つめ直すことになった。

 ドラマ内で身寄りのない少女はとある博士に拾われ、下働きとして生活していく中でその博士を慕うことになる。そんな少女が一人呟いた「会いたい」という言葉を他の誰かに向けたものだと思い込んだ博士は、少女が二度とその言葉を言えなくするために少女から「あ」以外の言葉を奪い、外見が全く同じ AI の少女 β に「あ」以外の言葉を全て移植した。その結果、少女 β は博士の側で暮らすことになる一方、「あ」を奪われたオリジナルの少女 α  は屋敷の外で生活することになる。少女 α は博士の側に居られる少女 β を羨むが、少女 β は博士が本当に愛しているのは少女 α であることを知っており、二人になった少女は持っていないもの・与えられないものを互いに羨ましく思っていた。

 この役を演じるにあたって、役作りとして杜野凛世はプロデューサーの前では少女 α として、レッスン中トレーナーの前では少女 β として会話をすることでドラマの収録に臨む。そんな中、杜野凛世はレッスンの際にトレーナーから、杜野凛世は少女 β のようで人の心を動かす情熱が足りない、と評されてしまう。W.I.N.D. 編でプロデューサーを慕うだけでなくアイドルとしての楽しみを見出した杜野凛世であったが、ここにきてアイドル杜野凛世としてだけではファンの心を動かせないと言い下されてしまったのだ。

 この発言がきっかけとなり調子を崩した杜野凛世はプロデューサーから可能な範囲での休養を与えられるが、ある日携帯電話の電源を切り、二人の少女を通じて杜野凛世自身と向き合う。一方でプロデューサーは連絡がつかないことに動揺し、必死に杜野凛世の所在を各所に問い合わせる。もう一度杜野凛世に電話をかけ、応じた杜野凛世の後ろで鳴る波音を頼りにプロデューサーは杜野凛世の元へたどり着く。再会を果たしたプロデューサーは杜野凛世が何につまづいているのかがわからないと告白し、それに対して杜野凛世には少女 β のままではステージに戻れないと答える。プロデューサーはそんな杜野凛世は既に「あ」も「あ」じゃない言葉も両方持っていて、その両方をアイドルとして好きなように発露してほしいと話し、杜野凛世は『あいたかった』と応えるのであった。

 時は流れ、二人のもとにドラマ最終話の台本が届く。少女 α と少女 β は互いに求めるう物を与え合おうとしたが共に会得することはできず、博士も含めた 3 人は決して幸せとはいえないそれぞれの最期を迎える。しかし、博士が死に際して少女 β が博士のまぶたの近くで囁いた『ーいたい』の頭の一音は限りなく「あ」に近い響きを残した。

 この台本をについて考察する二人であるが、今の杜野凛世は少女としての杜野凛世とアイドルとしての杜野凛世がいるために情熱の籠もった声を発することができることがわかったと伝え、プロデューサーは杜野凛世が発する言葉、そして杜野凛世の心にしっかり耳を傾けなければならないとこれからの杜野凛世との接し方を改め直すのであった。

 以上の通り、G.R.A.D. 編では少女としての杜野凛世とアイドルとしての杜野凛世がそれぞれどのように在るべきか、どのように共存するべきかを解決するコミュであった。プロデューサーも杜野凛世の心・言葉に寄り添えていなかったことを反省した。新規プロデュースモードにおけるコミュだけあって、杜野凛世自身およびプロデューサーとの関係が共に大きく変容する様子が最高の脚本・演技・演出によって鮮やかに描かれた。

 

あかとあお、そして「むらさき」

 【われにかへれ】のコミュは撮影の仕事のために杜野凛世とプロデューサーはバスに乗って人里離れた海沿いの街に数日間滞在する内容だ。1つ目のコミュ「夏雲だけを覚えてゐる」では仕事とはいえ二人での旅行ともとれる状況に杜野凛世は現実味をおぼえないほどに気分が高揚し、心躍る様子が描かれ、少女としての杜野凛世がより強く顕現させる。

 続いて 2 つ目のコミュ「むらさき」では二人でかき氷を食べるシチュエーションが描かれる。杜野凛世は赤いいちご味、プロデューサーは青いブルーハワイ味のかき氷を食べ、それぞれのシロップの色に染まった舌を見せ合い笑い合う。雑誌用の写真としてシロップの赤色で染まった舌を出した杜野凛世をプロデューサーが写真に収めると、杜野凛世は同じようにプロデューサーを自らの携帯で写真に収めたいと申し出る。しかし、杜野凛世の携帯ではなくプロデューサーの携帯で撮るように促したり、かき氷の器を撮ることを促したりなど、全ての選択肢においてプロデューサーはその申し出を完全に受諾することを拒否する。どの選択肢にも共通して、アイドル杜野凛世の携帯にプロデューサーの青いかき氷や青いシロップで舌を残してはならないと考えがプロデューサーの言動の根底にあることが描写される。そんなプロデューサーの言動に対し、杜野凛世は赤と青が混ざった「むらさき」にしてしまえばよかったと内心思うのであった。

 さて、「赤」と「青」という二つの色は杜野凛世を彩る重要な色である。赤い瞳、紅葉、十二月短篇の赤いドレス、そして、青髪、ユニット衣装カラーの青、水色感情、今回のギャルりんぜの青メッシュといったように、杜野凛世の世界には必ず赤と青が混在する。少女としての杜野凛世を赤、アイドルとしての杜野凛世を青としたとき、G.R.A.D.編を通じて赤の杜野凛世と青の杜野凛世が共存し、「むらさき」の杜野凛世としてあることにたどり着いた。

 一方で、今回の赤と青は上記のメタファーとは異なり、明確に赤を杜野凛世、青をプロデューサーとしてコミュが進行される。プロデューサーを慕う少女の側面が強い状態の杜野凛世は赤と青が混ざって「むらさき」になってしまえばいいのにと思うのに対し、プロデューサーは確固としてその二色が混ざってはならないという姿勢を貫く。

 色が混ざるという現象は熱力学でいう不可逆過程の重要な例の一つであり、混ざった色から元の二色に戻すためには外界に何かしらの変化を残さなければならない。杜野凛世の赤とプロデューサーの青が混ざるということは、「不可逆」という言葉に注目すれば杜野凛世とプロデューサーが恋仲になってしまえばもう元の関係に戻れないこと、「不可逆過程」に注目すればたとえ元に戻れたとしても周囲に何かしらの影響が残ってしまうことを表すことになる。どちらにせよ、杜野凛世とプロデューサーの間に明確な隔たりがある状態こそが、二人にとってのこの夏のあるべき「平衡」な状態であると青のプロデューサーが考えている。それに対して赤の少女・杜野凛世がある意味で冷静さを失って赤と青が混ざることを願う様子は、青いプロデューサーの冷静な態度との残酷な対比として描かれた。

 

杜野凛世という名の「悲しきアイドル機関」

 3 つ目のコミュ「こもれ 日」では杜野凛世とプロデューサーが土産物を買いに行くシーンの回想から始まる。杜野凛世は放クラのメンバーと同じ寮に住んでいる他ユニットのアイドル、そして同行するプロデューサーにお土産を買うのだとプロデューサーに告げる。しかしプロデューサーは「いや、もったいないよ そんなのいいから」と言い放ち、杜野凛世の好意を真っ向から無下にする。その回想が終わり、杜野凛世が部屋に引きこもり、ドア越しにプロデューサーが問いかける場面へと移る。ここでもコミュタイトルにスペースがあるように、杜野凛世とプロデューサーがドア越しに会話するといった二人の間の隔たりが徹底的に表現される。杜野凛世の心情を掴めないために「ほ、放っておいて……くださいませ−−−−」と拒絶の意思を示されたプロデューサーは一度部屋の前から立ち去る。一人考え直すプロデューサーはお土産の件に思考が巡る。改めてお土産の件について話そうと杜野凛世は眠ってしまっており、G.R.A.D.を経て杜野凛世の心に耳を傾けると誓ったプロデューサーは少女・アイドル双方の杜野凛世の心に耳を傾けられなかったことを一人反省する。

 ガシャ画面のセリフにも登場した「放っておく」ということは平衡(equilibrium)という概念と密接に連関する。外部とのやりとりがない孤立した対象は十分な時間が経てば平衡状態、すなわち対象にマクロな状態(対象を構成する各要素ごとの性質ではなく対象全体としての性質)の時間変化と流れがない状態に緩和する。このコミュを杜野凛世の視点から見ると、普段とは違う環境で大きく精神状態が変化していた杜野凛世がプロデューサーと距離を置く。一人で疲れて寝てしまい起きた杜野凛世はプロデューサーに拒絶反応を示した少女側に寄った杜野凛世ではなく、少女とアイドルが共存する「普段の」杜野凛世であった。

 4 つ目のコミュ「月があたらしい」は撮影の仕事直後の杜野凛世とプロデューサーの会話と、不貞寝から目を覚ました直後の杜野凛世とプロデューサーの会話が織り交ぜられながら始まる。後者の会話では、杜野凛世はプロデューサーに伝えたいを全て伝えることを約束させられ、プロデューサーは杜野凛世から聞きたいことを全て聞くことを約束した。その会話の回想を踏まえつつ、仕事直後の杜野凛世は蛍が飛んでいた沼へ行きたいとプロデューサーに伝える。沼へ着いたプロデューサーは杜野凛世の「放っておいてくださいませ−−−−」から杜野凛世が本当に伝えたかったことを聞き取れていないと自省をしている傍ら、杜野凛世は蛍と月の明かりで満たされた沼へと足を踏み入れる。杜野凛世が点滅する蛍は一体何を言っているのかとプロデューサーに問いかけると、プロデューサーはやはり「……聞こえたらいいんだけどな」と答えることしかできなかった。

 さて、ここで急に話が変わるが、熱機関という概念について考えよう。熱機関は車やバイクなどのエンジンの主要な構成機構であり、吸収した熱エネルギーを力学的な仕事(物を動かす「馬力」)に変換するものである。例えば、ガソリンで駆動されるエンジンでは、燃焼したガス(薄いガソリンと空気が混合したもの)が燃焼した際の膨張によってピストンを押し出し、燃焼の熱エネルギーをピストンが運動するエネルギーへと変換する。

 ここで、【われにかへれ】における杜野凛世の精神的状態の遷移を下図の通り熱機関になぞらえて考察する。

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1. G.R.A.D.を経て少女としての杜野凛世とアイドルとしての杜野凛世の隔たりをある程度取り払った状態であったが、半ば二人きりの旅行とも言える状況に置かれることによって杜野凛世の中のほとんどの杜野凛世が少女としての杜野凛世に圧縮される(図中・過程1)。これは普段の生活からバスに乗って遠出する過程が当てはまるだろう。

2. 二人きりの環境に置かれた少女側の杜野凛世は、プロデューサーへの感情を否定されることによって少女側に寄った状態のままフラストレーションが溜まり、エネルギーの高い状態になる(図中・過程2)。これはまさに「むらさき」「こもれ 日」のコミュにおいて描写されている内容だ。

3. 一度エネルギーの高い状態になったものの、少女側に寄っていた杜野凛世はほとぼりを残しながら少女とアイドルの双方である杜野凛世へと戻る(図中・過程3)。この過程は熱機関において力学的な仕事を取り出す過程であるが、【われにかへれ】においては少女・杜野凛世としてのフラストレーションが撮影の「仕事」へと変換される過程を表している。

4. これは少し強引であるが、沼に足を踏み入れることで少女とアイドルの双方である杜野凛世に残ったほとぼりを放出していると考えられる。かなり論理の飛躍はあるが、この放出されるものは「仕事」ではなくプロデューサーにのみ魅せるものであり、今回では「あたらしい」月の明かりと蛍の光に照らされた杜野凛世の美しさとして具現化されたと考えてもよいだろう。

 

 以上の通り、【われにかへれ】のTrue End 以外コミュのは以上のサイクルに相当すると言えるだろう。G.R.A.D.を経てアイドルと少女の双方の隔たりをある程度取り払うことができてしまった杜野凛世は、少女側に偏った状態で恋愛感情を受け入れてもらえないフラストレーションを原動力として輝く「悲しきアイドル機関」というべき存在になってしまったのだ。アイドルである以上その恋愛感情が成就することはもちろん難しいが、【われにかへれ】におけるアイドル杜野凛世の輝きは悲恋のみによって生成されたものだということになる。これまでも杜野凛世の恋愛感情が伝わらない描写はあったものの、悲恋とアイドルとしての輝きが等価なものである状態は杜野凛世にとって(杜野凛世でなくても)非常に不健全なものだろう。

 

まとめ

 今回、ガシャタイトルの「夏的平衡」をヒントに、【われにかへれ】のコミュに対して熱力学とのアナロジー・言葉遊びから考察を行った。「むらさき」では、二色の異なる溶液を混合することが熱力学の不可逆過程の一例であることに注目し、当然のことではあるが杜野凛世とプロデューサーが恋仲になることが禁忌であることが改めて突きつけられた。「こもれ 日」では、仕事を控えるも少女側に寄り感情が昂っていた杜野凛世を「放っておく」ことによって、杜野凛世が少女とアイドルの双方の側面をもった平衡状態へと緩和させる場面を描写していた。また、「月があたらしい」までの杜野凛世の精神状態の推移と熱機関との対応を考えることによって、G.R.A.D.を経て杜野凛世はアイドルとしての輝きが悲恋によって駆動される「悲しきアイドル機関」という構造を確立したと考察した。

 杜野凛世は出会いから様々なコミュを経て成長し、変化してきた。明日の夏雲は一体どのような形をしていて、スマホはピントを合わせて写真に収めることができるのだろうか。